科学的知見が絶対とは言えない

あえて我々の立場から発言しますが、科学的知見が絶対とは言えません。
研究の結果というのは、限定的な条件付けをした中で出てくる一つの結果にすぎないのです。
また効率の良い方法が提唱されたとしても、それが実践できるかは別の話です。
科学的知見の難しさ
情報リテラシー
誰もがGoogle Scholarなどで最新の科学的知見にアクセスできるようになりました。
しかしそれらの情報を上手く使いこなせるほど、現代人のリテラシーは高くはありません。
限定条件下の研究結果を過大解釈/過小解釈してしまったり、言ってもいない文脈で捉えたりと、まあ散々な様子です。
例えば、筋の活動が高いと分かった研究があったとしても、それが=筋肥大しやすい、とは解釈できません。
あくまでも可能性の示唆程度に留まります。
90年代に主流であったホルモン仮説も破綻しました。
筋トレで成長ホルモンが大量に分泌できるので、きっと筋肥大すると長い間考えられてきました。
結果、その成長ホルモン分泌量に比例して筋肥大するわけではないと判明しています。
統計学の基礎知識
現在の研究結果も、統計学上では正しいと思われることを発表しています。
実際の研究結果のグラフを見てみると、そんなに綺麗な折れ線グラフではないのです。
そして所々に、折れ線グラフ上から遥かに離れた、数値がおかしい奴らがいたりします。
スポーツ業界で上位に位置するのは、いわゆるその「ハズレ値」に位置するような人です。
ハイパフォーマンスの科学が、一般には当てにならないのはこの辺りが原因ですね。
トップ選手が「科学は当てにならない」と言うのと、一般人が「トップ選手のアドバイスは当てにならない」と言うのは、まあ当然といえば当然です。
確かにハイパフォーマンスの研究は面白いのですが、社会貢献度は残念ながら低いです。
ある程度、人類に普遍の最大公約数的な結果の方が数的有利で価値があります。
現在では、ハイパフォーマンスからライフパフォーマンスへ、と言われるようにもなりました。
ご自身が統計上のハズレ値に位置するようなエリートパフォーマーなら、科学的知見など無視してしまった方が良いかもしれません。
定説化までの時間
巷に出回る「最新の知見」は、実は最新ではなかったりします。
妥当性が高そうだと目星をつけられて、その分野の研究が進み、定説として提唱しても問題ないと判断されるまでに、10~20年など普通に経過します。
多くの研究者が長い年月をかけて積み上げて行って、初めて説として発表していくことができます。
真の「最新の知見」が眠っているのは、Google Scholarやジャーナル上ではなく、研究の現場だったりします。
発見から妥当性の証明までに、非常に時間を要するのです。
そしてそれが20年後にも「正しい」とされているかは、誰にも分かりません。
実現可能性という罠
非常にシンプルな話で、何事もできるかどうかは別の話なのです。
確かに科学的にはそちらの方が良いとされる方法であっても、体力レベルやスキルレベル、機材や時間・空間の制約など、現実に落とし込めるかの判断は、常に現場に委ねられます。
受験を受けたことがある方なら、効率的な受験勉強計画を誰しも一度は考えたことがあるでしょう。
完遂できた方はどれくらいいますか?
意志・感情・モチベーションといったマインド面でも、実現可能性は揺らぎます。
朝晩で2回、毎日5分の加圧でオールアウトしたらとても筋肥大したらしいですよ。
やってみてはいかがでしょうか?
(被験者がキツすぎて、いつ教授にもう辞めたいと打診するか、最後まで悩んだ研究だそうです)
「正しい方法」が必ずしも「良い方法」にはならないと理解しておきましょう。
科学×実践
“Theorie ohne Praxis ist leer,
Praxis ohne Theorie ist blind.“実践なき理論は空虚であり
Kritik der reinen Vernunft, Immanuel Kant, 1781
理論なき実践は盲目である
最新の科学的知見に触れながら、トレーニングの現場で実現可能性も考慮し、提供していく。
研究者とトレーナーで手を組み運営している、Eclipse最大の強みです。